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神話に彩られた宮崎“ひむか神話街道”


神話に彩られた宮崎“ひむか神話街道”をいく

>>>温故知新の旅-1<<<
『鵜戸神宮(うど神宮)』Udo Shrine
~Japanese Sanctuary 鵜戸神宮(ウド神宮)Udo Shrine~
(正式には“ウド神社”ではなく、“ウド神宮”と読むそうです)
『温故知新』の目的で日本のサンキュチュアリ(聖域)をドライブ旅行した、
宮崎の“ひむか神話街道をいく”旅行記の第一弾です。
写真は↓のURLが素晴らしいのでご参照ください。
『鵜戸神宮(ウド神宮)』Udo Shrine

*鵜戸神宮 UDO Shinto Shrine
宮崎ICから国道220号を日南方面へ約30分、日南海岸をひたすら南下します。宮崎といえば野球ファンには巨人軍のキャンプ地としてお馴染み。そのキャンプ場として使用されている球場を東に見ながら一路、鵜戸神宮を目指しました。
途中に青島神社があり、ここは帰りに寄りました。
このあたりの日南海岸は“鬼の洗濯板”といわれる独特な岩が海岸線に続きます。百聞は一見にしかず、ですね。

神宮の駐車場に停車して、車を降りると、地元のおじさんが、“観光の方かね?”と声をかけてくださって、ここの参拝の方法を教えていただきました。正面に見える鳥居から続く急な階段が続く山道を上って参拝するのが慣わしだったとか。現在は整備されて難なく行くこともできるのですが、あえて山道から上っていきました。
天皇ご夫妻もこの道を登られたとか。
外国人の方々もわざわざ山道から上っていってましたが、私たちの後からきた観光バスは近道してすぐに神社に行き、わいわいがやがやと騒がしく、短時間であっという間に去っていきました。
観光コースになっていて、あまり時間が取れないのでしょうが、敬虔な気持ちできている者にとってはなんだか悲しい光景でした。

Udo shrine-1

わたしは個人的にはクリスチャンですが、文化、歴史とともに、古くから大事にされている慣習も、信仰心も大事にしています。
年齢や人種、文化、宗教に関係なく、人助けになったり、心の支えになるよりどころと、精神的な支えは生きていく上で必要だと思います。

肝心の神社の様子ですが、海岸の絶壁の上にある、洞穴の中に、赤い色をした御本殿がありました。

Udo shrine-shingu

海岸に面した絶壁の洞穴の中にある神社、なんてほかにないのではないでしょうか?
もう少し年を重ねてから、また訪ねてみたいと思います。

*現在放映中のNHK朝の連続テレビ小説「わかば」のロケも行われたそうです。

*鵜戸神宮の名物?“運玉”
御本殿前の海に浮かぶ霊石亀岩(豊玉姫が竜宮から乗ってきたと言われる)の背中に運玉(直径2cm程の素焼きの玉)を投げ、見事にとどまると願いごとが叶うという伝えがある。
男性は左手(利き手と逆との解釈でしょうね)、女性は右手で投げます)  これが以外に難しいです。 
5個100円
正月三が日は 約二十万個の運玉が投げ込まれるそうです。

Udo Shrine-kameiwa

⇒わたしはたしか3投目が見事、中にとどまりました。
とっさに願った内容は、世界平和。しまった、と思ってしまった私はやはり煩悩の塊です。

*鵜戸神宮 (うどじんぐう) 宮崎県日南市宮浦
★ 住 所 宮崎県日南市大字宮浦3232
★ 御祭神 日子波瀲武ウガ草葺不合尊
     (ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
★ 御神徳 安産子育て/縁結び/夫婦和合

創建は、崇神天皇の時代と伝えられる。その後、延暦元年には、天台宗の僧、光喜坊快久が、勅命によって初代別当となり、神殿の再興、寺院の建立を行った。勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と号す。後に真言宗に改宗しこともあり、一時は西の高野とも云われた。明治の神仏分離で、権現号・寺院を廃して鵜戸神社をへて鵜戸神宮となった。

以上ここまで。

>>>温故知新の旅-2<<<
『青島神社』です。
百聞は一見に如かず、なので写真とURLの紹介をメインに編集してみます。
まずは入り口から。
青島の中に青島神社があります。
ちうよりもこの一帯が神域で、一般の人は入島が禁止されていた時代もあるとのこと。
橋を渡って青島に渡ります。

AoshimaShrine-Enter 青島への入り口、弥生橋正面

先方に巨大な鳥居がみえますが、そのいく道に露天商が連なっていました。
青島神社はプロ野球の巨人軍の選手もキャンプ地の関係でかなりの選手が参拝したようです。現、NYヤンキースの松井選手や長嶋名誉監督の写真が途中の露天で売っていました。
私は見ませんでしたが、長嶋さんのろう人形もあるそうです。(^^)
境内に行く前に巨大な鳥居が待っています。
その横には「鬼の洗濯板」といわれる独特な海岸風景が広がっています。ここは他では見られない特殊な風景で一見の価値があります。

AoshimaShrine-2 青島神社-1

AoshimaShrine-1 青島神社ー2

*詳細な情報と写真等は、以下のHPをご覧ください。↓

<青島の周辺は、鬼の洗濯板>
宮崎を代表する観光スポット 
青島は、周囲約1.5km程,最高6m程度の小さな島、橋で渡れる。
周囲は約一千万年から八百万年前の地層(硬さの違う砂岩と泥岩)が侵食により独特な形状へ変化した岩(まさしく奇岩)で囲まれている。干潮の際には沖合い100mにも及ぶ見事な景観となっている。
その形状が洗濯板に似ている事から 「鬼の洗濯板」(鬼の洗濯岩)と呼ばれている。
この小さな島には樹齢三百年を超えるビロウ樹やハマカズラ等 熱帯亜熱帯植物をはじめ多くの植物があり、国の特別天然記念物に指定されています。
青島神社HP-1

青島神社は、その伝説を考えれば当然のことながら、縁結びや夫婦和合などの御利益で人々の信仰を集めている。かつて宮崎が「新港旅行ブーム」に湧いた時代には多くの新婚カップルが青島神社に参拝していったものだった。今でも訪れる観光客の中には若いカップルの姿がある。神妙な様子で手を合わせる後ろ姿が、少しばかり微笑ましくもある。

宮崎の観光地として広く知られる青島のほぼ中央に、青島神社が鎮まっている。創建の年代ははっきりしないということだが、平安の頃にはすでに「青島大明神」の名が文書の中に見られるというからすでに千年以上の歴史を持つのは間違いないだろう。

Aoshima S.-Map

今では青島には多くの観光客が訪れ、そのほとんどが青島神社に参拝してゆくが、昔は島内全域が神域として島奉行や神職以外の一般の人々の入島が禁じられていた時代もあったという。現在でも青島の島内全域が青島神社の境内であるらしく、その意味では「青島の島内に青島神社がある」という表現は正しくないのかもしれない。

Aoshima S.-Scenery

縁結びを始め、あらゆる和合をもたらす神様として信仰の篤い彦火々出見命とその御后豊玉姫命を御祀り申上げた青島神社
1.青島神社は彦火火出見命が海積宮からご還幸された御宮居の跡といたしまして「彦火火出見命・豊玉姫命・塩筒大神」の三神をおまつりいたしております。
2.青島神社は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、塩筒大神(しおづつのおおかみ)を祀る。日本神話に語られる「山幸彦と海幸彦」の物語で広く知られる神々である。
明治以後は御祭神の御威霊を仰ぎ熱帯植物繁茂する国内絶無の霊域をたずねる人々いよいよ多く、縁結・安産・航海・交通安全の神として、御神威は益々輝き今日に至っている。

<境内の天然記念物>
○青島熱帯植物産地
 史蹟名勝天然記念物保存法に依り大正10年3月3日国指定
○特別天然記念物
陸地に近い島で本土にくらべて特異な植物が繁茂した北半球最北の貴重な群落である。自生栽培植物は226種で熱帯及び亜熱帯植物27種を算し、その代表的な植物ビロウ(ヤシ科)の成木は約5000本である。ビロウの純林は群落地の6分1を占め、最高樹齢350年を越える。ビロウ樹の成因は古来の遺存説と黒潮にのり漂着したとする漂着説がある。
 亜熱帯性植物群落 昭和27年3月29日国指定

○天然記念物《通称 鬼の洗濯板》
周囲の岩盤は、新第三紀(2400万年から200万年前迄)海床に堆積した砂岩と泥岩の規則的互層が傾き〔走向北三十度東、傾斜二十度東〕海上に露出し、波浪の浸蝕を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものである。岩上には、ひびや断層が多く団塊(だんこん)や浸蝕による蜂こうがみられる。
青島の隆起海床と奇型波蝕痕 昭和9年5月1日国指定  

鵜戸神宮ー旅行記
江田神社ー旅行記

鵜戸神宮HP
青島神社HP-2

以上、ここまで。


>>>温故知新の旅-3<<<
“江田神社”~宮崎が全国に誇る至宝~
神話に彩られた宮崎,
“ひむか神話街道”をいく。

『江田神社』は日本最古のご神体を祀る神社。
場所:宮崎市阿波岐原町「市民の森」南側、シーガイアのすぐ近くです。

Eda-shrine

(旅行記)
この旅の順番としては、鵜戸神宮(ウド神宮)⇒青島神社⇒江田神社ですが、さきに江田神社をまとめてみます。
鵜戸神宮(*正式には鵜戸神社ではなく、鵜戸神宮)
旅行記は⇒■鵜戸神宮ー旅行記

日向灘に沿った宮崎の海岸は、日本神話の聖地である。イザナキノミコト、イザナミノミコトから日向3代の神話・伝説の地が沿岸に並ぶ。
シーガイアを横手に見ながら、ひっそりと入り口があり、1車線で車の流れが速いため、気をつけないといきすぎてしまいます。それくらいひっそりと目立たない場所にあります。
神木に囲まれた社はひっそりとして何の華やかさもないが、静かな中にも厳かな雰囲気です。
そこから先に誘われるように少し先に進むと“みそぎ御殿”、そこからまた整備された森の中を歩くと“みそぎ池(御池)”があります。

EdaShrine-Pond(Mi-ike)

案内板には“御池”と書かれており、読み方は“みいけ”。
一ッ葉海岸(ひとつばかいがん)の一角の地名。
写真を見られるとなんとなく分かるかと思いますが、水がきれいで、ただの池ではない雰囲気がかもし出されています。
6月初旬から一面にスイレンの花が咲くとのことなので、もっときれいでしょうね。
もう少し時間があればゆっくりと周辺を歩いて回ったのですが、それはいつか、またの機会にとっておこうと思います。

以下、資料です。
<みそぎ池(御池)>
◆日向神話 神々の系図  
宮崎県のWebサイトよりみやざきの神話と伝承101:阿波岐原とみそぎ
阿波岐原とみそぎ

[以下の説明文は現地案内板より引用したものです]
国産み神話から天孫降臨、そして神武天皇まで、古事記のハイライトともいえる物語の舞台となった宮崎は、まさに神々のふるさと。
はるかなる古代への入り口は街角のあちこちにひっそりと扉を開けている。

神話をめぐる小さな旅へ出てみよう。
世界のほとんどの神様は天地創造(てんちそうぞう)をします。
日本の場合は男女神である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)が「産む」ことによって国土(こくど)ができたということになっている。
まず、淡路、四国を産み、 次に隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡を産み、さらに本州を産んで、大八島国(おほやしま)という名ができた。
こうして世界を構成(こうせい)するあらゆる 神を産んだ伊邪那美命は、最後に火の神である迦具土神(かぐつちのかみ)を産み、 やけどを負って死んでしまう。これを嘆いた伊邪那岐命は、妻を黄泉(よみ)の国まで追っていくが、そこで汚(けが)れを受け、あわてて逃げ帰って 史上初めて「みそぎ」をする。

みそぎの時に産まれたのが、 高天ヶ原(たかまがはら)の支配者(しはいしゃ)となる太陽の神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)、 それに八岐の大蛇(やまたのおろち)を退治(たいじ)した荒(あら)ぶる神・須佐之男命(すさのおのみこと)、 夜の世界を治める神である月読命(つくよみのみこと)など 古事記(こじき)のスーパースター的な神々だ。
(尚この時生まれたのは全部で30人くらいだそうです。)

その場所が、今の神主(かんぬし)さんの祓詞に残る「筑紫(ちくし)の日向(ひゅうが)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわきがはら)」であると古事記は伝える。
筑紫は九州、日向はもちろん宮崎のこと。 橘は通りに名を残し、小戸神社も現存するし、阿波岐原はシーガイアのある一ッ葉海岸(ひとつばかいがん)の一角の地名。
そして阿波岐原には、伊邪那岐命、 伊邪那美命を祭る江田神社がある。つまり、古事記には、宮崎で産まれた神々や、宮崎の地名がたくさん出てくるという訳だ。

日向灘から打ち寄せる荒波に向かい、その澄んだ海の気を浴びながら、神々を生んだ日向の自然に 目をむけてみよう。

<神話の国、宮崎>
国産み神話から天孫降臨、そして神武天皇まで、古事記のハイライトともいえる物語の舞台となった宮崎は、まさに神々のふるさと。 はるかなる古代への入り口は 街角のあちこちにひっそりと扉を開けている。
<江田神社>
お祓いの発祥の地、「かけまくも畏(かしこ)きイザナギの大神、筑紫の日向の橘の小戸の憶原に・・・」の祝詞の、あの地である。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと) 日本最古のご神体を祀る神社。
創建は不明であるが、「和名秒」によると江田郷に鎮座する古社で、「続日本後紀」では837年(承和4年)「江田神社」として官社に列し、さらに「延喜式」では日向国式内四座の一つとなっており、日向国内でも有数の古社として古くから崇敬をうけて来た格式高い神社であった。
その後、1662(寛文2)年、大地震、津波が発生した頃から神運が傾き、一産土神のようになったと言う。
社殿の奥には伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が禊をしたという地が祀られている。
江田神社




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